甘くない現実
顧客として専門家に望むことは、プロとして顧客の期待に応えてくれることだ。
俺の望みは、夫婦関係修復のヒントを得ること。
その意味では、相手方は頑張った。
全力を尽くしたと思う。
俺ひとりだけの見方とは違う物の見方、自分にはない知識を提供してくれた。
もっと言えば、できれば夫婦関係修復へ至る確たる道筋が得られればなおよかった。
しかしそれは望みすぎだろう。
たとえ専門家に知識や経験や技能があったとしても、それが顧客のニーズに合致していなければ使えない。
だからと言ってそれはその専門家が悪いわけではない。
ただのミスマッチだ。
同じように、夫に知識と経験と技能があったとしても、それが妻のニーズに合致していなければ使えない。
それは別に夫が悪いわけじゃない。
相談してそういうことが分かった。
それは単に妻のニーズに合っていないというだけのことだ。
必要ならその部分のスキルを伸ばしたらよい。
相談所は合う合わないがあるよね。
もちろん相手は専門家で、ためになる話をしてくれた。
しかし俺は居心地の悪さを感じるのを止めることはできなかった。
なんというか、「お前が修復を望んでいるんだからお前が頑張れ」「お前が変われ」「お前のそういうところがダメなんだ」と言われているようで。
説教されると居心地は悪い。
それは仕方ない。
でも俺は俺の目的のために行ったので、ありがたい話はそれはそれでちゃんと聞いた。
変化が必要なら変化もする。
でも、俺は変化するにしても楽しくやりたい。
どうせ苦労するなら自分の好きなようにやって苦労したい。
そうじゃないなら楽になりたい。
どうやったら楽しめるか、どうやったら楽になるか教えてくれと思う。
人に何かを教える仕事の人は「教えてやってるのに」という気分になりがちなのかもしれない。
「俺が教えてやってるのになぜわからない」「俺が教えてやってるのになんだその態度は」「人の話をちゃんと聞いてるのか」
もちろん聞いてるよ。
そして俺には俺の目的と望みがあるのだ。
俺はそのために来た。
苦しんでるから来たんだよ。
俺も気を付けよう。
肥大した承認欲求とか気味が悪い。
今日は疲れたが、参考になる話も聞けた。
役に立ちそうな話は、ありがたく使わせてもらう。
今日の教訓
- 相談所やカウンセリングは相性の合う合わないがある
- 気にしすぎず、役に立ちそうな知見を吸収すればいい
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