役割期待の認識のずれ

すれ違い

役割期待とは、だれか二人の間でお互いに対して「私はあなたにこれを期待します」という期待のことである。

二人の人間は夫と妻でもいいし上司と部下でもいい。

そして役割期待の認識のずれとは、この期待内容の認識に二人の間でずれがあることである。

たとえば妻が夫に対して「夫には家族に対して優しい父、優しい夫であることを一番に期待します」と思っていたとして、夫の側はそれを認識せず、「俺は全力で金を稼ぐことを頑張る」と思っていたような場合、そこにはズレがある。

当然逆の視点からも考えられ、夫は妻に対して「いつもきれいでいてほしい。それが一番」と期待しているが、妻の方は「母として子育てを全力でやる。他のことは二の次」と考えて行動していたとすると、そこにはズレがある。

そういうったズレがあると、お互いとも全力で頑張っているにもかかわらず、相手の期待は満足されず、やっている本人も相手から評価されず、お互い不満がたまっていくことになる。

頑張っても頑張っても評価もされず満足も得られず、溝は深まり心は離れて行く。

それは最初の認識のズレ、ボタンの掛け違い、そこがずっと尾を引いて、最終的に不満が爆発したり燃え尽きたりして夫婦関係に終わりをもたらす。

そういう恐ろしい事柄である。

それを避けるためにはお互いの役割期待について認識のすり合わせをする必要がある。

でも言われなければそれをわかっている夫婦は少ないし、言われてもうまくすり合わせられるとは限らない。

だから多くの夫婦はなぜうまく行ってないかもわからず破綻していく。

期待のすり合わせ

俺が妻に望むこと:

  • 俺が俺らしく生きるのを応援してほしい。
  • ハナがハナらしく生きるのを応援してほしい。
  • タロがタロらしく生きるのを応援してほしい。

とてもまっとうな期待だと自分では思う。

ちゃんと伝わっているだろうか?

次に、妻が俺に期待することを勝手に推測してみる。

  • 金を稼いで家に入れること。
  • 妻に頼まれたことは嫌な顔せずにすぐにやること。
  • 妻に感謝すること。

まあこんな感じだろうか。

推測してみたので、実際に妻の答えを聞いてみることに。

すると妻の回答はこうだった:

  • キレないこと
  • 子育てを妻に任せること

意味はわかる。

しかし、少々納得はいかない。

それは俺の「役割」とは違う気がする。

なぜなら、妻の要望は俺が存在しなくても満たせるからだ。

夫の存在意義がない。

正直「分かってないな」と思う。

だが、「分かってない」ことが分かるのが第一歩だ。

そこから始めるしかない。

今日の教訓

  • 役割期待のずれはけっこう大きい
  • 分かってないことが分かることがまず第一歩

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