俺は子供たちを伸び伸びと育てたい。
学校の勉強がどうとかより、もっと根源的な生きる力を身につけさせたい。
粘り強くやり遂げる力であったり、自分の頭で考える習慣だったり、いろんな立場から物事を考えられる能力であったり、セルフコントロールの力であったり、感謝の心であったり、お互いに尊重する気持ちであったり。
妻は子供に、「宿題やれ」「そろばん行け」「習字行け」「公文行け」「英語行け」と言う。
しかし幼児教育の研究によれば、セルフコントロール力や感謝の気持ちを身につけた子のほうがその後の人生が豊かになっている。
収入や、健康や、幸福感といった物がより高いポイントが得られる。
それに加えて、現状のハナは祖母によく似ている。
妻の母は、鬱々として、無気力で、自分の頭で考えず、人に指図し、文句が多く、健康やより良い生き方や人を幸せにすることに向かう活力がない。
妻も妻の母によく似ている。
自分の頭で考えず、「○○さんもこう言っていた」というのが判断基準。
自分は勉強してないのに子供には宿題やれと言う。
家計簿も付けないのに俺にはもっと金をよこせと要求する。
今までそうやって来てどんな効果的なことがあったのかふり返る力もなく、改善する能力もない。
いったい子供に何を求めているのだろう。
どちらがいいと思ってるんだ。
勉強はできるけど祖母みたいになるのと、勉強はできないけど自制心や感謝の心や粘り強さを持った人間に育つのと。
いったいどの子育て理論に、「宿題やりなさい」「着替えなさい」「学校の準備しなさい」「ご飯を食べなさい」「早くしなさい」とこまごまと毎日しつこく言いなさい、という教育法が推奨されているというのか。
有効性のない子育て法を繰り返しつつ、「ハナのことをかわいいと思えない」「あなたが育てて」と言い放つ。
そのくせこちらの指示には従わない。
感情的で一貫性のない指示的で自由裁量のない子育てを繰り返す。
その結果が今の現状だ。
そのことについて俺が妻と話し合おうとすると、妻は無視して寝る。
あるいは「そんな話はしたくない」「無理」と言って去る。自分の行為に対する説明責任を果たす気がない。
無責任な駄々っ子がごねて周りに当たり散らしているのと同じ。
当たられる子供の方はいい迷惑だ。
しんどい人生だな。
同情するよ。
そして俺は、俺が「話がある」と言っているのに無視されるのは我慢ならない。
話し合いができないならパートナーではない。
もはや一緒に暮らす意味を感じない。
今日の教訓
- 結婚するなら子育ての方針が合う相手とするのがよい
- 一緒にいるなら説明責任を果たす能力がある相手といるのがよい
- 親兄弟に甘えるばかりで相手へのリスペクトが感じられない相手は避けるのがよい(いずれあなたへのリスペクトもなくなる)
コメント