正直、そういう気持ちになることはある。
それはそれでOKだ。
そこから自分自身への分析と理解が始まる。
「俺の気持ちは誰にも分らない」とはつまり相手に対する「お前は分かってない」「クソが」「死ね」ということと、今現在自分がなにかうまくいっていなくて不幸で不満だということである。
で、継父にとって何が不満の対象かと言えば、頭と性格が悪い妻と、可愛くない継子と、俺に優しくない世間である。
あとは金がないこととか、うまく行かない仕事とか、ウザくて役に立たない親とか兄弟とか。
そして何より、クソで無能な自分自身にである。
俺の望みを叶えられない俺に何の意味がある?
ハイ、そうですね。そしてそんなささくれ立った気持ちの時に、他人にあーだこーだ言われるの余計ムカつく。
「お前に俺の何が分かるんだよ!」と思う。
だからそんな時は、「そうだな。すまない」「お前のこと教えてくれ」と言ってもらいたい。
だが妻や、子供や、世間はそんなことは言わない。
だから俺は自分で自分を理解するのである。
「お前に俺の何が分かるんだよ。クソが」という気持ちを越えて、役に立つ情報を探しに行くのである。
俺を一番理解できるのは俺で、俺が俺を助けてやる、と思っているからである。
なので知性も想像力もないアホにこちらの足を引っ張られるとムカつくのである。
そんな余裕はねえんだよ。
文句があるなら金払え。
その方がよっぽど役に立つわ。
・・・うーん、やっぱり一番ムカつくのは人の話も聞かず偉そうに人に指図してくる妻だな。
仕事で消耗し、職場の人間関係に疲弊し、親との関係に疲れ、そんな時でも妻はこちらの話を聞かず、コロコロ変わる指図を押し付けて来て、子供はキレてわめき散らし、バカだの死ねだのゴミだの言い、犬より汚い食べ方で、片付けも家の手伝いもせず文句言い放題で、こちらには臭いから風呂入れだの痩せろだのいい、勉強もしないでテレビ見ている、その姿に幸せを感じろと? ちょっと注意すれば子供は泣きわめいて壁を蹴り、妻はふてくされてどこかへ行き、同じことを繰り返す。いったい何の罰なのか。あげくに、旅行に行きたい、習い事させたい、もっといい家に住みたい、親戚は海外旅行行けてる、友達の家は庭が広い、だの好き勝手を言う。では俺の居場所はいったいどこに?
・・・というのは誇張だが、まああれだ、俺には才能がなかったな。家庭と仕事を両立する才能が。やはり人生に必要なのは金か・・・。
正直、子供にバカだの死ねだの言われるのは別どうということはない。俺のことは俺が幸せにするのでどうぞお構いなく、と言う感じだ。だが無念に思うのは子供の心がそんなに荒れてるということだ。それは俺の家庭の経営方針に反する。妻の心が荒れてるのは妻の自業自得だが。
才能に乏しい俺だが、一応教育方針は持っている。自分の野心と覚悟としてこれを目指す↓ 結果は10年後か20年後か、人生掛けて出るだろう。乞うご期待だ。
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