継親はなぜ継親をやるのか

ステップパパやステップママと言われる継親は割に合わない商売かもしれない。

金と時間と労力を注ぎ込み、心をすり減らして得られる結果は何か。

改めて考えてみたことはあるだろうか。

人は自分の欲求を満たすために生きている。

自由の欲求、所属の欲求、生存欲求、そして承認欲求。

人にはそれぞれ欲求の強さがあり、どの欲求が強いか弱いかは人によって違う。

そして俺が思うに、欲求の種類が異なる相手とはウマが合わない。

そして継親も、何らかの欲求を満たすために継親をやっているのだ。

ではあえて、×付きコブ付きの相手と結婚する意味はなんだろうか。

その答えは多くの場合、承認欲求だと思う。

バツありコブありの相手ならこんな自分でも認めてくれるだろうという目論見が継親の側にはあるかもしれない。

だがそもそも既に欲求が満たされていればそれ以上リスクを冒してそれを求める必要もない。

つまり、継親は承認欲求が満たされてないから継親になるのである。

悲劇の始まり。

そして出発点からして破綻の芽が既に含まれている。

バカな自分を承認してもらうためによりバカな相手を選ぶ。

そんなことをしてうまくいくはずがないのである。

だが既に自己像が傷ついて承認欲求に飢えている人は、まともな人の中にいると自分のバカさが責められているような気がしていたたまれないのである。

引きこもりニートが家に引きこもるのと同じ心理である。

目を塞ぎ耳を塞ぎ、ネットの書き込みといいねコメントで鬱憤を晴らすのである。

さてここで賢明な読者はお気づきと思うが、これは何も継親に限ったことではない。

いわゆる毒親と呼ばれる部類の親にも見られる傾向だろう。

自分の承認欲求を満たすために子供や家族を利用する。

不安と怒りに憑りつかれた種類の親たちである。

何が言いたいのかと言えば、苦しんでいる継親は自分が継親だから苦しんでいると思ってるかもしれないが、それは違うのである。

継親だから苦しんでいるのではなく、自分が自分だから苦しんでいるのである。

だから何だという話であるが、別にどうということはない。

自分の欲求は自分で知れ、ということである。

そうしなければただの欲求の奴隷で終わるからである。

そしてその終わりは、場合によっては刑務所の中なのである。

一応、自戒を込めて書いている。

承認欲求の奴隷にはなりたくない。

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