幸福学の研究者が提唱する幸せの4つの要素について学んだ。
幸福学と教育
学校教育に活かしたい「幸福学」研究 ―「人間学・幸福学」で次世代の教育が変わる―
“他人との比較”で得た幸せは長続きしない。「幸福学」で分かった、親子で幸せになる方法
子供たちとともにそられを強化していきたい。
はっきり言って継子は勉強が嫌いである。得意でもない。
それでも何とか自分で生きてってもらいたい。彼女がいつまでも家で文句たれてるの聞くのめんどくさいから。変な道に走ってトラブル起こすのを見るのも気分が悪いから。
幸せの4つの要素とは「やってみよう」「なんとかなる」「ありがとう」「ありのまま」のマインドである。これらを強化していくことを考える。
ではどうするか。
「やってみよう」というのはつまり、チャレンジするといいことある、と思えるということだろう。面白いことがあるとか、成長できるとか、褒めてもらえるとか。まあなにか、自分の身体管理予算にプラスの結果が得らえると予測するということだ。
反対に、痛い思いをするとか、恥をかくとか、疲れるとか、そういうのが先に立つとそういうマインドにならない。
うちの継子はこれは苦手である。新しいことにはチャレンジしない。自分のペースや自分のやりたいことを乱されるのをとても嫌がる。疲れやすい。他の人ができるのに自分ができないと感じるのを極度に嫌う。なんでも「あたしの勝ち」がいい。苦労を乗り越えて何かをつかむというのがない。先の目標より今の快楽を優先する。
うーむ…。発達障害か!と思ってしまう。そういう傾向はある。どうしたものか。
アイデアとしては、挑戦したり失敗したら褒める、というのがある。
「ナイスチャレンジ!」「よくやった!」
「やってみよう」を伸ばすには
・失敗したら褒める
・「ナイスチャレンジ!」
でもまあ、この特性は継子には向いてない気もする。新しいことをすると極度に疲れる人もいるので。
「なんとかなる」というのは、未来について楽観的ということだろう。先の見通しが立っていて、自分の能力と裁量で楽しくやっていけると予想している。もしくは、未来は不確実だが自分は一人じゃないから大丈夫、と思っているか。あるいは、どん底から這い上がった経験から自信を持っているか。
これはこの世界に居場所がある、ということでもある。なので、家が安心できる場所であればそう思えるのではないだろうか。あとは、自分に合った仕事を選ぶ。つまり、自分が得意なことを仕事にする。
得意な人がさらにチャレンジすれば余人に代えがたい人材になる。だから苦手をなくすより得意なことを伸ばしたほうがよいと思う。
でも継子の得意なことってなんだろう。うーん…。しゃべること、、、かな・・・。
「なんとかなる」を伸ばすには
・得意なことを伸ばす
・家を安心できる場所にする
「ありがとう」というのは、この世界から自分の身体管理予算にプラスのものを受け取っているという認識だろう。助けてもらえた、運がよい、恩恵を受けている。当然のものなど存在しない。
これには、「感謝のワーク」をやるとよい。
継子は、感謝しようと思えばできる子である。自分のペースを乱されるとキレるだけで。
「ありがとう」を伸ばすには
・「感謝のワーク」をやる
・子供に、ありがとう、と言う
・子供のペースを待つ
「ありのまま」というのは何だろう? これはよく分からん。他人と比較してダメ出ししてくるバカが周りにいない、ということだろうか。ダメ出ししてくるバカがどうでもよくなるくらい、自分とこの世界の美しいものが調和しているということだろうか。それとも、そんなこと考えても意味ないと達観しているということだろうか?
まあ他人と比較してもいい気分にはならないので、比較しないことは重要かもな。あとは、自己肯定感ということか。
「ありのまま」を伸ばすには
・他人と比較しない
・美しい思い出を持つ
・妄想にとらわれない心の修業をする
まあこんな感じだろうか。妄想にとらわれないことについては、仏教系の本や構成主義的情動理論の話がよいと思う。
これらを子供たちと学んで行く。
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