『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった 無料お試し版(著:岸田奈美)』を読んだ。
父親が亡くなって母親が下半身不随で弟がダウン症である著者の日常を書いた物だ。
弟や母親との暮らしやトラブルを明るい筆致で描いている。
評価コメント曰く『勇気をもらった』『涙がでました』など。
確かに明るくほんわかした気分になる読後感である。
でも、なんで?
著者曰く、「母や弟と、行ったことのない場所に行きたい。障害があるからとあきらめていた場所にも行くことができたらうれしい。わたしたちが行くことで、出会った人が少しだけ笑顔になってくれて、その体験を書いたら・・・勇気と幸せの連鎖が広がる」
・・・そうかもしれない。
でもいったいなぜ、車椅子の女性とダウン症の男児が来たら出会った人が笑顔になるのか?
まったく謎である。
なので検討してみる。
- 自分より下の人間を見ると安心するから
- 障害があっても意外と大丈夫と思えるから
- 世の中捨てたもんじゃないと思えるから
- 逆境でも明るく生きるコツを学べるから
- 自分にも弱者に貢献できることがあると思えるから
著者は言う。「弟が歩いたその先に、障害のある人が生きやすい社会が、きっとある」
うむ。
応援したくなるキャラクターというものはある。
多分、逆境にめげずに可能性を追求している姿が応援したくなるのだろう。
ダウンちゃんは可愛いというイメージもあると思う。
著者の母親もよい人柄だ。
それに比べて継子や継親はどうだ。
かわいくない、意地悪というイメージしかない。
発達障害もそうだ。
ADHDやASDはできれば出会いたくない困った人たちというイメージだろう。
継子が愛着障害を発症してこじらせてるケースもある。
何が言いたいかというと、「継子や継親が生きやすい社会は、どこにある?」ということだ。
継子や継親は物理的にはどこへでも行ける。
バリアフリーだ。
しかし心理的には越えられない壁がある。
心の障害者だ。
・・・だが俺はどこまでも行く。
俺が進んだその先に、俺が生きやすい社会がきっとある。
別に俺は出会った人を笑顔にしたりはしない。
継子も別に出会った人を笑顔にしたりはしない。
しかし俺らが進んだその先に、出会った人を笑顔にしない人でも生きやすい社会が、あるかもしれない。
いや、きっとある。
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