学校は生きづらい世間の縮図

継子は学校生活に向いてないようである。

どうやら今年のクラスは継子に向いていない。

継子は今年の担任は嫌いだそうだ。

そして、学校側からも連絡がある。

学校:「ハナさんが授業中に何回も『クソやろう、死ね』と言うのでお友達が怖がっています」

それはそうだろう。

学校とはクソだ。

日本の学校とは子供の成長を応援するところではなく、調教して選別するところだ。

子供も居心地悪かろう。

そして日本社会では人は成績によって選別されランク付けされて出荷される商品である。

不良品はクレームを付けられ廃品回収されゴミ箱行きだ。

日本人はクレーマーである。

だが学校で子供が快適でないのは学校の質が低いからではないか?と考えてみてはどうか。

調教して選別するという機能自体がもはやクソだと自覚した方がよい。教師自身が。

今回の件から分かることは、学校のクラスにはクラスメイト自身がお互いを理解しあい和合する教程が存在しない、ということだ。

自分の意見を表明し、相手の話を聞き、違いを乗り越えて協力する、という教育がない。

だからクラスの運営というものに対して当事者意識も仲間意識も育たない。

だから、そこを卒業した人間は社会の運営に当事者意識のないただのクレーマーになる。

やれやれだ。

そうは言っても継子も自分で生きて行かなければならないので、自分の意見を言語化する能力と自分のストレスに対処する能力を伸ばす必要はある。

それはうちでこれからやる。

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