愚痴と射精

前回、不快感情の処理の話をした。

そして妻は、愚痴を言わないと不快感情が蓄積するようだ。

それは俺が、射精しないと不快感情がたまるのと同じかもしれない。

そして愚痴は、誰かに聞いてもらう方がスッキリする。

俺が妻に向かって射精する方が、一人でするよりスッキリするのと同じである。

人間の不快感情はいろいろあるということだ。

それを安全に解消できる場所が、安全基地である。

だから結婚したらお互いがお互いの安全基地になれると思うのは、大きな考え違いである。

相手が解消したい不快感情は自分と違う。

自分が解消したい不快感情も相手と違う。

だから自分は相手がどんな不快感情を抱えているか理解できないし、相手もこちらがどんな不快感情を抱えているか理解できない。

だから学習と練習が必要である。

自分と違う他人とお互いの安全基地を構築するためには、学習と練習が必要となるのである。

ああ、めんど。

だがそれができれば、夫婦の関係は強固なものになるだろう。

そのためにはそもそもの土台として、自分自身が自分自身であることの心の安らぎを持っていなければならないが。

夫婦の愛着がうまく構築されていれば、それに支えられて子供の愛着も構築しやすいだろう。

なぜなら子供の不快感情を支えやすくなるからだ。

また、学習によって夫婦の愛着を形成した経験は、子供を観察して適切な対応をする際も役に立つはずだ。

もっと言えば、一般的な子供であればひねくれた大人より対応は楽なはずだ。

というわけで、毎日愚痴を吐かないと不快感情が蓄積する妻の心を安らかにするために行動することにする。

コメント

タイトルとURLをコピーしました