不幸な子供時代

不幸な子供時代を過ごすと詰まらない人間に育つ。

なぜこんな似たり寄ったりの反応なんだろうか。

いやはや。言動が似かより過ぎててあくびが出る。

正直退屈。

だがそれには理由がある。

不幸な子供時代を過ごした人間は情動の発達が未分化になる。

だから、そうじゃない人間が備えている精神世界の深みというものが存在しない。

だからみな、似たような薄っぺらのありふれた反応になる。

マウスやラットのような動物みたいなものだ。

情動が未発達なのは周りの助けがなかったからもあるだろう。

子供の頃に不快感情の処理を学ばなかった人間はそこから先の精神発達がなくなる。

一人では怖くてそこから先に行けないのである。

だから赤ん坊が泣くようにギャーギャーわめくしかなくなる。

だがそんな自分自身を自覚するのも耐えられないから、理論武装をする。

だがその理論も、当人は別に好きなわけじゃない。

ただ相手にギャーギャー言うための方便である。

だから自分の言ったことが自分に返ってくるとブチ切れる。

その人にとって重要なのは理論ではなく、ギャーギャー言って自分の感情をなんとかしてもらうことなのである。

いやあ、キモい。

人のことをあーだこーだ言うのを自分で止められないやつほどやばい。

おそらく脳の機能障害もあるだろう。

脳は周りの脳から学ぶ。

そのように薄っぺらに育つ脳は、周りの脳も似たような物だったのだろう。

つまり、そのようにしか脳を発達させられない家系ということでもある。

そのようなキモい人間が肉体的には大きくなったからといって成人の振りをすると周りの迷惑が大きくなる。

不幸の再生産というやつである。

そして、キモいやつはキモいやつ同士でくっつく。

まともな相手といると自分のバカさがあぶりだされて耐えられないからである。

悪循環、不幸の再生産というやつである。

幸せな子供時代がいかに大切か。

妻や弟を見ているとそれを強く思う。

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