いや、誤診だろ。
今回のクリニック受診では発達障害の診断がいかにいい加減がわかった。
たった20分程度の子供と医師の面談と、10個か20個の事前のチェックリストで診断する。
それで分かったような気になってる医師のバカさにあきれる。
継子の病状はASDというよりは反抗挑発症あるいは素行症といったものによくあてはまる。
もしくは、愛着障害か。
それをASDと言われてもね。
対応を誤ることになる。
そもそもASDの診断基準に問題がある。
ASDの診断基準を見てみよう(e-ヘルスネットより)。
- 複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的欠陥があること
- 行動、興味、または活動の限定された反復的な様式が2つ以上あること(情動的、反復的な身体の運動や会話、固執やこだわり、極めて限定され執着する興味、感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ など)
- 発達早期から1,2の症状が存在していること
- 発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
- これらの障害が、知的能力障害(知的障害)や全般性発達遅延ではうまく説明されないこと
1.については、継子は学校での教師や級友との関係や、家庭での母親との関係に問題があるのであてはまる。
2.については微妙。多少偏食があるのであてはまると言えばあてはまる。
3.については、俺が知っている4歳のころから変わってない。
4.については、学校の勉強に集中できないのであてはまる。
5.については、知能障害ではないのであてはまる。
つまり、継子に当てはまると言えばあてはまるが、そんなことを言えば家や学校でうまく行かず多少興味に偏りがある子は全員ASDになってしまう。
バカバカしい。
では別の診断基準の説明も見てみよう。
DSM-5における自閉症スペクトラム(ASD:Autism Spectrum Disorder)の診断基準
以下のA、B、C、Dを満たしていること。
A:社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害(以下の3点で示される)
①社会的・情緒的な相互関係の障害。
②他者との交流に用いられる非言語的コミュニケーションの障害。
③年齢相応の対人関係性の発達や維持の障害。
B:限定された反復する様式の行動、興味、活動(以下の2点以上の特徴で示される)
①常同的で反復的な運動動作や物体の使用、あるいは話し方。
②同一性へのこだわり、日常動作への融通の効かない執着、
言語・非言語上の儀式的な行動パターン。
③集中度・焦点づけが異常に強くて限定的であり、固定された興味がある。
④感覚入力に対する敏感性あるいは鈍感性、
あるいは感覚に関する環境に対する普通以上の関心。
C:症状は発達早期の段階で必ず出現するが、後になって明らかになるものもある。
D:症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている。
(参照:DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル)
こちらの方が少しまともだ。
Aの①として情緒的な関係の障害を挙げている。
継子は別に情緒的な理解に問題はない。
継子は相手の気持ちが分からないわけではなく、それよりも自分の気持ちを優先するだけだ。
むしろ人の気持ちが分からないのは妻の特徴である。
Aの②の非言語的コミュニケーションも問題ない。
継子は表情豊かである。
笑顔やしかめ面の意味も理解している。
お人形遊びや下品な冗談も大好きである。
むしろ下品な冗談が好きすぎてで困る。
Aの③の年齢相応の人間関係の問題はあてはまるかもしれない。
子供集団に対してや教師に対する協調性は低い。
でも許容範囲だと思う。
Bの①の反復行動はない。
むしろ妻にあてはまる。
妻はあれしろこれしろと繰り返すことを自分で止められない。
Bの②のこだわりや儀式的行動は多少ある。
お気に入りの毛布や人形がある。
というか、妻の方がもっと偏執的。
人に対して風呂に入れとか臭いとかうるさい。
Bの③の過度の集中はない。
書道や昆虫など好きなものはあるが、偏執的なほどではない。
むしろ普通なので、もっと勉強してほしい。
Bの④の感覚過敏や感覚鈍麻については、食べ物の偏食があてはまる。
でも偏食ってほどでもない。
肉が嫌いとか、食べたくないものは食べないとかいう程度。
Cは省略。
Dは前の基準と同じで、学校や家庭で支障があるかということだが、支障というより相性の問題だと考える。
母親と相性が悪い、教師と相性が悪い、クラスメイトと相性が悪いという問題。
まとめると、継子はAに関しては、構ってくれて分かってくれる相手には懐くが、普段から相手の気持ちを尊重したりはしない。
Bに関しては、多少偏食がある程度で、こだわりがあるというよりは不平不満が多い、というのが特徴。つまり文句たれである。
Cは省略。
Dについては、相手の気持ちを尊重せず不平不満が多いので家や学校でうまくいかないということ。
だから一番の特徴は、「相手の気持ちを尊重せず不平不満が多い」ということである。
これらから考えても、継子の場合は、人の気持ちが分からないとか、あることに固執するとか、たとえ話が分からないとかいう認知機能や実行機能の問題ではない。
相手に譲る気がないとか人に感謝する気がないという世界観の問題である。
しかも、それも相手との関係性による。
俺に対しては譲歩もするし「ありがとう」も言う。
つまり、機能の問題ではなく関係性の問題である。
医師はいったい何を見ているのかと思う。
というわけで、偉そうにふんぞり返ってる医師がいかにクソか分かる経験だった。
追記:
そう言えば、継子にはひとつ偏執的なこだわりがあった。毎朝母親に髪の毛を結んでもらうことだ。自分でやればいいのに、これは今でも母親にやってもらう。だが、母親が不在の時はあきらめて自分でやるので、それほど偏執的ではないとも言える。愛情確認行為ということなのだろうか。
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