「しょうがない」「ごめんなさい」はコミュニケーションの拒否

妻は子供に何か言われると、よく「しょうがない」という。

そして、俺が何か指摘すると、よく「ごめんなさい」という。

それは、コミュニケーションを拒否する彼女のやり方だ。

妻は何も分かってない。彼女は、しばしば「責められてるみたいでいやだ」と言う。

それこそが、彼女が成育歴の中で身に着けた二次障害である。

それが分かってない。

自分のトラウマと、トラウマを避けるための回避行動に人生を支配されている。

キモい。

責められていると感じるから、それ以上のコミュニケーションを避ける。

そのための言葉が「しょうがない」「ごめんなさい」である。

その証拠に、彼女はさらに追及されると固まる。押し黙る。

そこから進歩がない。

いくらお経を読んでも宗教の集まりに行っても変わらない。

なぜなら、回避し続けているからだ。

他の人の目から見れば、本人が何をやっているかは明白である。

だが逃げ続けてる本人には自覚できない。

一瞬は自覚してもすぐ解離して忘れる。

自分が責められてるような気がすると、コミュニケーションから逃げ出して、相手の話を聞かない。

回避と解離。まさにトラウマの後遺症。

なんで俺や子供たちが妻の成育歴のトラウマのツケを払わなければならないのか。

ウザい。

本人はコミュニケーションから引きこもって宗教と言うぬるま湯に浸かってればいいかもしれないが、周りが迷惑だ。

真面目に治療しろ。

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