妻はよく「死にたい」と言う。
小学生の継子もよく「死ね」と言うし、2年生の頃は「死にたい」と言っていた。
妻の語彙力は小学生レベルである。
小児期に逆境的な環境で育った人は自分の感情を抑圧して生きて来たために、感情識別力と感情語彙力が低くなる。
妻のそれは小学生レベルである。
妻が「死にたい」「死にたい」と言うのと、継子が「死ね」「クソ野郎」というのは同レベルである。
同レベルだから喧嘩になる。
それを改善するには、感情教育、感情支援が必要。
人の感情にはいろんな種類があり、程度も様々である。
だが逆境で育った人々は、嫌なことがあれば「死にたい」といい、腹が立てば「死ね」という。
情報の粒度が粗い。
そのため、取れる選択肢もそれだけ粗くなる。
様々な選択肢、きめの細かい対応というものを持ちえない。
小学生レベルの情報粒度と対応策で大人になっても生きることになる。
だからうまく行かない。
だが妻の脳はもはや枯れた老木である。
感情教育をするなら子供のほうがしがいがある。
俺の人生の時間も有限だから。
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