「あたしばっかり怒られる」という継子

さて、継子が学校の先生やクラスメイトが嫌いな理由は、「あたしばっかり怒られる」と考えていることが大きいということが判明した。

つまり、継子の人生の生きづらさの大きな部分は、「あたしばっかり怒られる」という状況および他者不信感にある。

それはある意味本当で、ある意味継子の妄想であるが、生きづらさを減らすためにはそこを改善するのがよい。

つまり、「継子が怒られにくい環境を整える」ということと、「継子の考え方を整える」ということである。

そりゃあ、自分が怒られてばっかりの人生はつらい。死にたくなるだろう。

ではなぜそんなことが起こるのか。

相互理解が不十分なのと、環境調整が不十分だからである。

そもそもの他者不信のはじまりとは親に対する不信である。

それは、親が子供をよく理解していないからこそ起きる。

そしてはっきり言えば、妻の子供への理解は不十分である。

なぜなら、妻は「観察しない」「共有しない」「学習しない」という人間だからである。

そして妻は、家族の中でもっともワーキングメモリの小さい人間であるため、すぐに気持ちがいっぱいになり挙動不審になる。

そんな親を信頼できるはずもない。

そして継子も同じ特性を持っている。

なので、快適に暮らすためには、自分の特性を自分で理解し、周りにも説明し、それでも怒られずにやっていける環境を整える必要がある。

だが妻がやってきたことは、小さいころから英語をやれ、公文をやれ、宿題やれ、あれしろこれしろはやくしろ、という環境である。

親の知性のなさがにじみ出ている。

これが継子にも受け継がれれば、継子の子も恐らく同じ特性を持っているため、死にたくなるだろう。

クソ遺伝子による連鎖の完成である。

それを避けるためには、静かで落ち着きのある子育て環境が必要だ。

つまりは、はじめから特別支援教室や、発達障害に理解のある学校に入るのがよかった。

また、親はペアレントトレーニングを受講しマスターする必要がある。

そして、子供にもその知恵を受け継いでいく。

あとは、継子の「あたしばっかり怒られる」という認識を変えていく必要もある。

怒られているのではなく、「相手は自分の気持ちが満たされなくて困っている」という認識が必要である。

それは相手の能力の限界を示しているだけで、別にこちらがどうということではない。

だが集団でうまくやっていくつもりであれば、配慮してやる必要はあるのである。

継子もそこを学んでいくのがよい。

今後の課題だ。

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